社長日誌

DIARY

コロナ禍の手水舎

昨日、大麻比古神社に車を停めて大麻山に登ったのですが、境内に入ってすぐにある手水舎(ちょうずや)は使われておらず、代わりに消毒液のポンプが置かれており、手水には花が浮かべられていました。

これもコロナ禍ならではの風景なのは言うまでもありませんが、やはり閉鎖するだけでなく、その本来的な意味をとらえて代替することは重要だと思います。

これは会議や催しなどにも言えることですが、コロナ禍の中で中止されるようなものはそもそも必要なかったものなのではないかと思います。

そういった意味でコロナ禍は我々の生活や仕事で何が本当に必要で、何が必要でなかったのかを考えるチャンスになっていると思いますね。