社長日誌

DIARY

バンザイクリフ

 最終日の本日はいよいよサイパン島の北部をまわりました。
 図らずも博物館→南部→北部という順番は時系列的に学ぶことができて非常に良い順番でした。
 最初に訪れたのはプンタン・サバネタ、通称バンザイクリフです。
 サイパン戦はアメリカ軍がサイパン島南部から上陸して攻めたため日本軍はもちろんのこと、多くの民間人も北部に追いつめられました。
 1944年7月7日日本軍が玉砕突撃した翌日に1,000人以上の民間人(主に婦女子、子供、老人)がこのバンザイクリフから身を投げました。
 通称バンザイクリフということになっていますが、ガイドさんによると身投げするときの言葉のほんどは「お母さん」といったもので、多くの人が岸壁にあたり崖の下は一面血で染まったということです。
 多くの慰霊碑が岸壁に並び、一つ一つに多くの思いが込められているのが伝わってきました。
 このような歴史がなければ本当に素晴らしい景色に心を打たれるような場所ですが、同じ日本人として歴史を知った上でこの景色を見ると本当に涙が止まりませんでした。
 続いてラストコマンドポスト(バナデロ)、スーサイド・クリフ(ラデラン・バナデロ)とまわりました。
 今回のガイドは日系三世のツダさんが案内してくれました。
 ツダさんは非常にサイパンの歴史に詳しい方で、サイパンと日本の関係、戦争の悲惨さや虚しさを多く学びました。
 また、我々の責任として、自ら歴史を学び、その歴史を後世に伝えることの重要性を痛感した旅でした。