社長日誌

DIARY

反省

 本日は6:15のバスで新神戸に行き、新幹線で豊橋まで移動、その後京都、大阪と移動し徳島まで日帰りするというスケジュールを立てました。
 しかし、このスケジュールはやはり無理があり、大阪まで行き着来かず、京都からバスで直接帰ってきたのですが、徳島21:00の帰着でした。
 振り返ってみると豊橋で昼食をご馳走になったのが最大の敗因で新幹線の中で食事をするべきでした。
 やっぱり忙しいといってもあまりにも無理なスケジュールを立てるのはやめた方が良いですね。
 約束をすっぽかす結果となった大阪の取引先の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。m(_ _)m

徳島文理大学

 本日は以前から親しくさせていただいている徳島文理大学中村教授の授業で話をさせていただきました。
 他の経営者の方と一緒に20分ずつの予定でしたが私だけ思わず30分くらい話をしてしまいました。
 始まるまではざわついていて、金髪の生徒もいたので心配していたのですが、思ったより真面目に聞いてくれて、質問もあり話をしたかいがありました。
 大学の授業で話をするのは久々ですが、現在の大学生の状況を知るためにもたまには良いものですね。

鬼平犯科帳

 私が好きな池波正太郎氏のまさしく代表作です。
 23巻は以前に読んでいたのですがこれで終わりになるのが残念で、しばらく読まずにいましたが、最終巻であるこの24巻を本日、読み終えました。
 この24巻も絶筆となっており非常に良いところで話が切れております。
 池波氏の三大シリーズはこの鬼平の他に「剣客商売」と「仕掛人・藤枝梅安」のシリーズがありますが結局、完結したのは剣客商売だけです。
 絶筆となっているこれらの作品を見ると本当に円熟に達した池波氏の早すぎる逝去が惜しまれてなりません。

再起動

 本日はボーナスの考課点の集計を一生懸命やっていたのですが、集計が終わりいざプリントアウトしようとすると勝手にコンピューターが再起動してしまいました。
 うかつにも保存をしておらず、歌って踊れるシステム管理者の佐々木さんに電話をして「どうにかなりませんかねえ」と相談したのですが、「無理です」の一言。
 本日の教訓:こまめな保存を心がけましょう。

阿波方言番付

 本日は中小企業家同友会の理事会の後、急遽忘年会をしようということで籠屋町の「に志もと」にいきました。
 この「に志もと」は文久2年(1862年)創業で150年近く続いた徳島ではなじみ深い料理屋さんです。
 みんなで飲んで少し酔ってきた頃に店の大将がこんなものを自分で作ったんだということで1枚ずつくれたのがこの阿波方言番付です。
 この番付では東の横綱は「あるでないで」意味は「あるではないか」、県外の方は「ある」と「ない」を一緒に言われるので意味不明とのこと。
 西の横綱は「はめて」意味は「入れて」、以下東の大関「どちらいか」意味は「こちらこそ」、西の大関「いんできます」意味は帰りますと続きます。
 西の十両(八枚目)までと行事、世話人、勧進元をあわせて合計59の方言を収録しております。
 中には私が知らない方言もあり、楽しめました。

激説120分

 本日は就活ルネッサンス(意味よくわからない)ということで徳島大学に採用担当山下明奈さんと一緒に我が社のPRをしに行きました。
 これは徳島大学に在籍する1~3年生に会社のPRをしてあわよくば興味を持ってもらい就職につなげていこうというものです。(少なくとも私はそう理解しているのですが・・・。)
 15グループに分かれた学生達に15社の社長達が10分ごとに周りながらPRする形式で、移動時間があったり、10分より長い時間があったりで合計8回転しました。
 この間、少しでも内容の濃い説明をしようと必死で話をし同じ内容を8回も話をするので最後には咽が痛くなり疲労困憊してしまいました。
 一緒に行っていた山下さんも同じ内容を8回聞くだけでもへとへとになったとのことです。

古地図

 本日は東京に宿泊ですが、江戸時代の古地図を持参したのでこの地図を見ながら、あちこち歩きました。
 昨日は現在の新日本橋駅周辺に泊まりましたので古地図でいうと本町というあたりです。
 まず、ここから富沢町まで歩くのですが、途中でも色々な発見があります。
 本町をまっすぐ東に歩くと地図上では大伝馬町になるはずなのに、実際は小伝馬町の交差点にあたります。
 そして、小伝馬町の交差点を少し南に曲がると大伝馬町になるので、どこかの時代でずれたようです。
 また、大伝馬町を過ぎて更に南に行くと、現在では堀留町になるのですが、この堀留町は江戸時代の地図にはありません。
 周辺で神社を見つけてその縁起をみると、この掘留町は大正時代に田トコロ町とハセ川町をくっつけて作ったとの記述がありました。
 更にここを東に曲がりこむと目的の富沢町です。
 富沢町で仕事を3時過ぎに終えて、少し時間が余ったので1時間くらい更に地図にしたがって歩くことにしました。
 宿泊用の鞄をガラガラ引きずりながら、サンプルで持って帰っているアンパンマンのぬいぐるみ(サンタ仕様)を手で持ちながら歩いていきます。
 富沢町から江戸橋を過ぎて日本橋に至り、大通りを南下して京橋を越えて銀座まで歩くと、さすがに疲れてきたので今回はここで地下鉄に乗りました。
 途中、普段では見向きもされないような、地域の縁起を現した小さなプレートを見つけたり、今まで近くを通ってても気づかなかったところに神社を見つけたりと、なかなか楽しい旅でした。

廻らない寿司屋

 今日は夜に大阪から東京に入りホテルにチェックイン後、一人で食事に出かけました。
 最近、体重も気になるのでカロリーの低いのが良いなあと思っていると廻転寿司らしき光が見えます。
 ちょうど良いなあと思ってはいると外見は廻転寿司風でしたが、廻転しない寿司屋でした。
 廻転しない寿司屋は多分1年ぶりくらいだなあと思いましたが、出るのもどうかと思いましたのでそのまま食べました。
 高そうなので少しだけ食べてお勘定を頼むと3,040円です。
 美味しかったし、まあ良いかと思いましたが、廻転寿司なら3回は行ける値段ですね。(>_<)

功名が辻

 2006年にNHK大河ドラマ化された司馬遼太郎氏の作品です。
 1~4巻ですが、わりと楽にすらすら読めました。
 山内一豊自身は日本史上はあまり重要な役割を果たしておりませんので、私もどちらかというと婦人の内助の功ぐらいしか知りませんでしたが、この作品を読むことにより山内一豊夫婦の様々なエピソードを知ることができました。
 しかし、この作品が面白いのは関ヶ原の合戦が終わる頃までで、土佐藩領主になってからは残念なことばかりで悲しくなってきます。
 特に種崎浜での虐殺の話を読むとどうしてもそれまでの山内一豊と繋がらず奇異な感じがしますし、その後、幕末までよく山内家が存続したものだと思います。
 司馬氏はこの作品を通して「分相応」の重要性を説かれているのでしょうか?

足の助

 私はどちらかというと健康器具マニアといっていいほど健康器具をあれこれ持っています。
 マッサージ器はこの15年で4台目ですので4年に1台くらいのペースで買い換えていますし、そのほかにもあれやこれやと所有しています。
 しかし、これだけたくさんあると年間を通して使用するものは良いのですが、冬だけ使用するような器具はどうしても存在自体を忘れてしまいます。
 今日も「少し冷えたのでお腹が痛いなあ」などと言っていると、「足の助があるじゃないの」と言って家内が足の助を出してきてくれました。
 この足の助は遠赤外線で足下を暖める優れもので結構高かったのですが、昨年の冬場にはお気に入りで放せなかったにもかかわらず、5月くらいに邪魔なので片づけて以来忘れてしまっていました。
 久しぶりにスイッチを入れると足下から体全体まで暖まり幸せな気分になってきます。
 しかし、ここ最近足下が非常に冷えて困っていたので、もう少し早く思い出したかったものです。